昭和46年08月01日 朝の御理解
御理解 第4節
「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」
この御理解四節は、天地金乃神様のこれはお言葉であります。金光大神を此方と呼んでおられる。此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられる様になった。神からも氏子からも双方からの恩人と、だからこれはこのままこの通りなんですね。説明は要らない訳です。御理解を読んで今迄読みました通りの事なのです。只難しい難しいと言えば難しいのは、此方金光大神であると、金光大神の言う事に背かぬ様、よく守って信心せよと言う所だけが難しいんです。そうでございますね。
これは金光教の信心が、どういう様なものかと言う事が大体分かります。此方金光大神があって、初めて天地金乃神のおかげを受けられる様になったと。だから天地の親神様からも、金光大神は恩人とこう。神が一礼申すという風にも仰っておられる。勿論金光大神のお取次によって、おかげを受ける私共も、尚更の事であります。神様からも氏子からも、双方からの恩人。ですから金光様の御信心、いわゆるお取次の道と言われる、その事がはっきり致します。
けれども金光大神の言う事に背かぬ様によく守って信心せよと言う所だけが難しいのですこの御理解は。だから金光教の信心というのは、例えば神様と言うて、私共が天地の親神様に直接お願いしたって、おかげにはならんのです。やっぱりお取次を頂かなければ。所謂金光大神、いやむしろ天地金乃神と言うに及ばんとさえ仰っておられる。金光大神助けてくれと、言えばおかげをやる。おかげを授けてやると言う程しに、金光大神は天地金乃神様から、御信用を受けておられたと言う事になります。
ところがその、金光大神の言う事に背かぬ様と言う所が難しい。だからこの御理解は、いうなら、金光教の説明の様な感じですね。金光教と言うのは、金光大神が言われることに背かぬ様にして行く道なんです。そこにはね、まさかの時には、それこそ、金光大神天地金乃神と言うこともいらぬ。「こん」もう間に合わぬ時には「金」だけでもよい訳です。そこんところを説明致しますと、もう天地金乃神と同根とまで言うておられます。という御神格を受けておられます。生神金光大神と言う。
ですからなるほど金光大神は、即天地金乃神と同じ同根である。そこで金光大神の言われる事をよく守って御神徳を受けられた、二代金光様。いわゆる四神貫之の君である。九州の人達は、今はそうではないですけれども、私どもの婆達、また昔の方達は、金光様とは申し上げませんでしたね。四神様と言うて助かったんです。四神様と言うのが二代金光様。その四神金光様があって、桂先生があられる訳です。桂先生が、いうなら、商売での失敗とでも申しましょうかね。
もう生きてはおれないという程しの事になられた。そこで四神様に、一目お目にかかり、最後の御挨拶をさせて頂いて、そして帰りには周防灘に身を投じて、死んで御詫びをしようと言う決心なさった。そして、はるばる金光に、岡山に参られまして、四神様のお取次を頂かれた。ところが四神様は、つと立ち上がられて奥に下がられた。此処でお取次を頂こうとして、待っておられる桂先生の頭を、ここで下げておられる、その上から、状袋に何やらを入れて、ぽんぽん叩きながら、奥から出て見えた。
桂さん、桂さんと言ってこられて、状袋を叩いてみえられた。目の上の蝿は、これで追いなさいと言うてから下さった。何のお取次も願わない。そしてまた仰った。そのカバンの中に入っておるものは、帰りに周防灘で捨てておいでなさいと仰った。もうそれこそビックリ仰天されたんですね。宿に下がられてから、その頂かれた封筒を開いて見られたら、自分が、それだけの金額がなからなければ生きておられないと言う金額がキチっと入っておった。これで目の上の蝿を追いなさいと仰った。
そしてまた宿から、金光様の前に出られて、それこそひれ伏して四神金光様にお礼を申しておられます。昔佐倉宗五郎と言う人は、七度生まれ代わって、この恨みは晴らさずにはおくものかと申しましたそうでございますが。この桂松平は七度生まれ代わって、道の為に尽くさせて頂きますとお誓いになった。それを私共は桂先生の七生報教と申しております。ですから桂先生にとっては、四神金光様がいわば生神金光大神、その人である。四神様四神金光大神様が、そのまま天地金乃神様なのである。
その後、段々、いろいろ教生、今の三代金光様が亡くなられ、三代金光様はお取次を何十年なさっておられますけれども、その上に管長と言う位、もう一つ上の位があって、御本家筋の、いわゆる金光家の金光家国と言う方が、当時管長であった。管長派と金光様と二派に別れて、もうそれこそ、しのぎを削る時代があった。金光様はしのぎを削るじゃないけれども、そういう事件が、金光教のお家騒動と、当時新聞で騒がれた問題が起こった。ですから有ることないこと。
教会にも隅々の端々にまで、これからは四神金光大神、四神様と言う事は、言うてはならんと言うて、御布令が回った。当時の偉い先生が、小倉に下って見えられましてね、桂先生が、もう亡くなられた後でございますから、桂みつ先生、二代の親先生ですね、奥様です。これからは九州の小倉の流れを組む者は、みんな、生神四神貫之の君と言うて拝むが、そういう名称はなくなった。だから金光大神一本で拝まにゃならんと言う御布令が出た。その事を言い渡しに見えた訳です。
そしたらね、桂先生の奥様です。いわゆる二代の桂先生がどう仰っておられるかと言うと、九州の小倉を、何処と思うてお出られましたかと仰った。ここは桂松平のお広前でございますと仰った。桂松平が、如何に四神金光様のおかげで、今日の小倉があり、今日の九州の道があるのだという事を、あなたは御承知でお出られましたかと仰って、もう教会の看板を外さなければならんなら、外しますと言う勢いで当たられたという話でございますね。ここを桂松平のお広前と心得てお出になられたかと。
いうなら金光教の本部から勅使が見えた訳です。勅使に向かって、それを言うて退けられたと言うことであります。と云う程しに、四神様は、小倉の桂先生は、九州の大恩人と言うておられます。もうここには金光様と言わんでも、四神様で助かっておる。だから四神金光様、四神貫之の君と九州の人は、だから申しますですね。私が一番初めに、御本部にお参りさせて頂いて、はぁこれが神の声かというものかと思うことを、神の声を聞いたのも、やはり、四神様の奥城の前ででした。
もうそれこそ、耳をつんざく様なお声で「四神」と言うお声を頂いた。という程しに九州には縁の深い、いわゆる九州の大恩人でおありになるのが、二代金光様であります。だから四神様で助かった訳です。ここでは金光大神と言うのは金光大神が天地金乃神に帰依をなさり、金光大神と同根とまで言うとこまで、天地金乃神は頂いておられる。四神様が親金光様の御信心を、その侭ひた受けに受けられた。
そのひた受けに受けられた金光様の御信心を、桂先生がまたひた受けに受けられた訳であります。四神様の御信心が三代金光様に移り、私共が三代金光様のおかげでおかげが受けられる。これは私が道の教師を志ざさせて頂いたのも、三代金光様の御言葉があったればこそであります。だから桂先生は生神四神貫之の君と云うて拝まれた。ならば大坪総一郎は三代生神金光大神として拝んだ訳です私は。
私が商売させて頂いても願っても願っても、右と願えば左左と願えば右、愈々是はどんなに考えてもおかしいと親先生は感じられた。そこで私と親先生と二人、御本部参拝した折に、三代金光様にその事をお取次を願われた。そしたら道の教師としておかげを受けたら結構ですと仰った。ですから、二十年間もの間です、これは竹内先生の言を借りると、私どもは金光教てなんか要りません。
私どもは椛目教でもよかりゃ、合楽教でも良いですち。只親先生あっての私どもの信心なのですからと云う様に、過激な事を言うておられる。今でも仰りますねあの竹内先生は。ほんなら久富先生辺の話を聞きよるとそうですね。私共は他には何も無か。もう親先生だけしかないのだからと言われるでしょう。先日も綾部さんがそれを言うておられました。私共はまだ一年半で信心は分からん、分からんばってん、分かっているのは親先生の御信心だけしか分からんとですけん結局親先生の仰る通り。
所謂金光大神の言われる事に背かぬ様にという事を、大坪総一郎が言う事に背かぬようにしとれば、おかげが受けられると、段々確信が出来て来たという訳なんです。段々此方金光大神と言う意味が分かって来るですね。だから勿論私の信心の内容の中には、桂先生から福岡の吉木先生、石橋先生荒巻先生と、そういう先生方の信心を通じて合楽があり、私がある訳なんです。
だからその先生方が師匠をひた受けに受けられ、師匠がまた、その師匠の信心をひた受けに受けられ、いうなら桂先生がひた受けに四神金光様のご信心を受けられた。その四神様が、親金光様のご信心を受けられ、親金光様、いわゆる教祖金光大神様が天地金乃神様と同根と言う信心を受けられた。だからそこに一貫しておるものなんです。金光大神と言うのは。だからここでは、まさかの折りには金光大神助けてくれと言わんでも、親先生と言うただけで助かっとるでしょうが。
助かる筈なんです。私が金光大神、金光様の信心を頂いておる限り、私が金光大神の言われることに背かぬ様な信心をさせて頂いておる限りここに金光大神の働きが、親先生の中にある訳なんです。だから親先生と言う事は、もう金光様と言う事も同じ事なんです。事実助かっておるでしょうが。私がこうやってお取次の御用をさせて頂く様になったのも、所謂三代金光様があったればこそ、三代金光様の御言葉あったればこそ、道の教師としておかげを受けたら結構ですと仰った。
ですから二十年間、様々な問題にぶつかった。もう本当に竹内先生じゃなかばってん当時、宗教法人金光教神愛会と言う看板のもとに人が集まったですね。椛目にですからわざわざ金光教を付けちゃいかんのなら、金光教は付けんでもよいじゃないですか。所謂神愛教でもよか椛目教でもいい大坪教でもいい。だからもうわざわざ御本部が取り上げて、教師にせんとか教会になしちゃいけんとか、取次をしちゃいかんとか言うならば、新たな宗教をここに興したら良いじゃないですかという様な説までが出た位です。
けれども私の心の中に一貫するものは、三代金光様が道の教師としておかげを受けられたら結構ですと仰ったから。その言葉にすがって、何時の場合でも絶対なれる。絶対教師になれる、絶対教会になれる。これが私の確信でした。そしていわば二十年ぶりに教会、二十年振りに教師を拝命したという事になるのです。金光様のお言葉をそのままひた受けに受けておると言うこと。
金光大神の言うことに背かぬ様に、背かなかった訳です、私は。そして二十年間辛抱した。まあ、いろんな教会がありますけれども、二十年間も人がどんどん助かる様になって、教会の看板が掲げられる様になったのは、先ず合楽だけでしょう。ですから、まだ四年にしかならんけれども、合楽に沢山の人が集まると言うことだけでも、その二十年間という神愛会時代があったからなんであります。ですから、その時分には、金光様と言わんでも良いとすら言うた時代があった、合楽では。
だからここんところは、金光大神の解釈なんですね。金光大神と言うのは、桂先生の御時代には、四神様であり私どもの時代には、皆さんの今現在ではです、四神様もいうならば言うことは要らん。金光様も言うことは要らん。桂先生の石橋先生のと言うたっちゃ、皆さん御承知ではない。ですから一番分かっているのは私なんです。だから親先生。親先生、親先生と言うことは、大坪総一郎と言うことではないと私は思う。
親先生と、今申します様な、金光大神の中身が親先生なんです、合楽では。ですから親先生助けて下さいと言えば、天地金乃神様はおかげを下さる。親先生と言う所には、天地金乃神とつながっておるものがある。昨日末永さんから、こんなに厚い封筒で、毎日お届をしております。その中に、今度、直子が丁度、四日でしょうか、五日でしょうか。電話ではそれを聞きませんでしたが。
手紙を見ましたところが、もう大変な事だったらしいですね。とにかく耳が痛い痛いと言うて、意識がなくなって、うわ言ばっかり、そのうわ言の中に、親先生、親先生と言う事であったそうです。そして体が痺れてしまって、冷たくなったそうです。それはもう大変に、学院でも、大変びっくりして医者を呼ばれた。ところが医者がね、耳が痛い耳が痛いと言うそうですから、中耳炎か何か、耳の病気だろうと言うことだったけれども、そうでもないらしい。
いわゆる、どこからこげん苦しんであるのか、苦しんでおる元が分からないと言う。原因が、ずっと不明のままである。昨日の晩迄は、まだ苦しんでおるからという事でしたけれども、体の痺れが取れて、冷たくなったのが少し温か味が出て、そして何時間かぐっすり休んで、それから昨日ここでお取次を終った所へ、又電話が公子さんから掛かって参りました。それで豊美もあちらへ大体普通の者は入ることは出来ませんのですけれども、無理にお願いしてでしょう、介抱に行ってくれました様ですし。
昨日の公子さんの模様では今日初めて、おじやを食べたいと言うから、おじやを作って食べられましたと。幾らか楽になったと言うのが、昨日の朝の電話でございましたが、まあその程度におかげを頂いておる様でございます。私はその事を聞いた時に、医者にかかったけれど、病名が分からないという事だった時に、もう本当に神様の御都合だと思いましたね。それはもう神様の御都合なんだ。本当におかげを頂いたなぁと思いました。だから医者も手の施しようがない、注射の打ちようがない薬の与え様がない。
それで結構それが有難い。私はそう思うた。そして神様のどういう御都合であろうかと思いましたら、あることを頂きました。頂いたらちょっとこれは、言葉に出して申し上げられない事ですから、本当に合楽の信心が、学院にとっておかれなければならん。例えば直子が、あぁいう病気をした。例えば上野先生達の場合なんかでも、これは取って置かれとるですね。学院に入学して、そして一年間入学中に、親が亡くなられる。兄弟が亡くなられるといった様な事が起こりましたですね。
次々と大変な試練の中に、一年間の修行を終って帰った。これなんかはもう、額に入れて取ってある様な感じが致します。今度直子のその病気のこともそういう意味のことを頂きました。ですからこれは御礼を申し上げる他はない。そういう気持ちにならせて頂きましたら、それから間もなく電話が掛かって参りましたのが、丸二日間、何にも頂かなかった。それが初めて、おじやを少し頂いたと言う電話でありました。
そして直子が夢うつつにも、それこそうわ言にも言うておる事は、親先生なんです。金光様ちゃ言いよらん。親先生、これを連発しておると手紙に書いてあります。だから親先生が偉いとか、親先生が素晴らしいとか、そういう事じゃないです。親先生が即金光大神に通じてござると言うこと。金光大神が、即天地に通じてござると言うこと。だから皆さんこれからは、金光様と言うことは要らんですばい。親先生と言えば良いという意味でじゃないですよ。
今日はここの御理解四節の解釈ですからね。そこで、ここではどうい事になるかと言うとです、親先生が言うことに背かぬ様にという事になるのじゃないでしょうかね。ところが妙なもので、段々心易うなって来ると、背きよるつもりじゃなかばってん、言うこと聞かんごつなる。そういう時代がありますよね。そげんあなたが言いなさったっちゃち言うごたる風になってくる。
だからその辺のところが、私は大事にされなければならないと思うですね。親先生を大事にしなさいと言う意味ではなくて、親先生が言うことを一つ大事にしなけりゃいけんです。それは、冗談でありましても、自分は白と思うけれども、親先生が、赤と言うならばです、その赤の方を取るべきだと思いますね。それが、私は、金光大神の言うことにそむかぬ様、よく守って信心せよとは、そういう事だと思う。皆さんの場合でも、金光大神が、この様なお話を残しておって下さる。
これは金光大神のいうならば、お心でありお言葉である。けれどもこれは中々分からん。いうならばこれに英語の分からない者に、英語で語ってあるようなもんなんです。そんなに難しいです、金光大神のお言葉と言うものは。だから英語の分かる人にです、一遍、日本語に直して貰わなければ、その英語の内容が分からない様に、金光大神の仰っておられることは、実に見易いようにあって、実に難しいのです。
それを私が私流に頂いて、私流ち言うといかんけれども、私の信心で頂いてそして私はここんところを、こう頂いてこうおかげを受けたという事を、私が皆さんに聞いて頂いておる訳なんです。ですから親先生が言われる事にそむかぬ様、よく守って信心せよまさかの折には金光大神もいらん、天地金乃神もいらん、まさかの折には親先生で助かるし、その親先生が、一番身近に感ずるんだと言うこと、知ってるんだから。直子達が家におる時には、わがまま一杯でそらもうお父さんであった。
けれどもいよいよ究極の所に至っておる時には、何て言うておるかと言うと、夢うつつにでも、親先生ち言うとるち言うことです。おかげを受けて、そして今度、例えば帰って参りましたら、おそらく、親先生が、より尊い親先生になっておる事でしょう。これから、いわゆる、親先生の仰ることは、神様の仰る事として頂かにゃいけんと、恐らく子供と父親と言う事ですけれども、もう親とか子とか、父親といったような意味のものではなくて、やはり、私の為の親先生である。
私の金光大神は、この人だと言うことになるのじゃないでしょうか。親先生助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。おかげを授けて下さるのは、決して、ほんなら、親先生じゃない、金光大神でもない。おかげを授けて下さるのは、天地金の神様なのである。その辺の所をよう分からにゃいけん。親先生が、どんなにばたくろうたって、おかげは授けられんのです。これは、金光大神に言うても同じ事ですよ。金光大神が、おかげ下さる訳にはいかんのです。
金光大神は、おかげを取り次いで下さるだけなんです。親先生もそうなんです。親先生も、それを取り次いで下さるだけなんだ。例えば四神金光様と言うたら、もう打ち首になる。四神金光様と言うたら、金光教の看板な取り上げると、例えば厳しい事を言われてもです。ここをどこと思うて見えましたかと、桂松平のお広前ですぞと言われた。これはと言うほどに桂松平先生は、四神金光様をいわば桂先生ではない、奥様であるところの、二代の小倉の教会長先生も、やはりそれをその様に頂いておられた。
もう四神金光様一点張りであった。四神金光様がおられる所に、金光大神の働きがあり、天地金乃神のおかげが受けられる事を確信しておられた。昨日もあそこで秋永先生、それから綾部さん高芝さんそれから正義さん繁雄さん。五六人で昨日の一時の御祈念の後に、色んな信心話をしておりました中に、その話が出たんです。とにかくその今度御本部に入殿のおかげを頂いて、愈々はっきり分かった事は、家の親先生と言う人はとても、私どんが幾らばたくろうたっちゃ追いつける人じゃないち。
だから私段これでよかろうと思うと、秋永先生が言ううんですよ。そんな事があるもんかい、そら出来んにしてもやはりそれに向かって目指さなければ。私がほんなら三代金光様のお写真を朝晩拝ませて頂いて、私共取次者との言うなら、鏡とも手本ともさせて頂いて、それは一生逆立ちしたって出来る事じゃなかろうけれども、一分でも一厘でもその金光様のご信心にあやかろう、近付かせて頂こうと精進しておる様に。ここではみんなも、やっぱ、親先生の信心にやはり肉薄するほどしの信心になって。
そら私を踏み台にして、まぁいっちょ上に進んで貰や、まぁだ有難いことなんですけれど、秋永先生は、その様な風に、昨日は言っております。それで私は申しました。もうてんで大体生まれながらにして、生まれ付きから違うとですけんち言うけん、そんなこつがあるもんかばってんですね、まぁ考えて見ると桂先生が仰った。七生報教と仰った。桂先生は、もう、生まれ変わり。
生き変わり立ち替わり、人間の世界に生れて出てきて、多くの難儀な氏子を助けにゃおかん。世界中にこの有難いお道を広げにゃおかんと言う、いわゆる七生報教のメモを燃やしてござるから、二代の桂先生がここにあっても、三代の桂先生が、ここにあっても可笑しいことはないじゃないのと言うて話したことでした。だから私がもし私は桂先生の生まれ変わりだと、言うなら言うたっちゃ良かろうと思うです。
私がそういう力を現わしていけるならば。桂先生のご信心を、ひた受けに受けて、その信心を、皆さんに伝える事が出来たらです。桂先生の生まれ変わりと言うたっちゃ良かろうと思う。まちっと言うなら、金光大神の生まれ変わりと言うたっちゃよか事はないでしょうかね。ですから、親先生と言や、人が助かるのである。御理解四節は読んでみれば、もうその通りである。ただし金光教の信心とは、この様なものだと。
説明をしてあるようなもんだけれど、金光大神の言うことにそむかぬ様、良く守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うに及ばぬ。金光大神助けてくれと言えば、おかげを授けると仰る。金光大神の言うことにそむかぬようと言うところが難しい。ところが金光大神の仰っておられる事は難しいやら、易いやら分からんごとある、いわば、これを頂きますとね。程に難しい。それでそれを私の信心で、良くそれを咀嚼してそして、金光大神の言うておられる。
その真意と言うのは、ここにあるのだぞと、皆さんに聞いて貰う。だからそこん所を、皆さんがよく頂いて下さる、そむかぬ様にしてお出でられるという信心が出来ればそこには即天地金乃神のおかげを受けられる。そこには親先生と唱えるところに。即天地金乃神のおかげを受けられるような、いうならば、一つのシステムですかね、が、ある訳です。だから、ここんところを、一番、頂かなければならんところは、金光大神の言うことにそむかぬ様に。
ほんなら金光大神の言うことにそむかぬ様にと言うだけじゃ分からんけれども、これを段々煎じ詰めて、親先生が言われることにそむかぬ様にと言うたら、皆さんが身近な事として頂けるでしょうが。今日は親先生どげん仰ったの。右と仰ったほんなら右にしたら良かろう。親先生どげん仰ったの、左と仰った。ほんなら左にしたら良いよと言う生き方で行けばいいと言うことになります。そこに天地金乃神のおかげは受けられるということになるのであります。
どうぞ。